1-9

 
霜月とアラクは十番領に入った。まず2人を出迎えてくれたのは、旅人や行商人で賑わう宿場町。特に、ここは主要な街道へ続く宿場町のため、年中賑わいが絶えることがない。
見るもの全てが真新しく、人々の活気にも背中を押され、霜月の気分はこれでもかというくらい高揚していた。
 
「うおおお!!うおお!!町ってこんなに人がいるんだなー!そんでもって広い!」
「くれぐれもはぐれるなよ」
「おうよー!」
 
霜月はこう言ったものの、どうしてもあちらこちらに目が行っては、アラクから離れて行ってしまう。仕方なく、アラクは霜月の腕を掴んで引き寄せながら歩き出した。
 
「言っているそばからふらふら歩くな」
「あう……ごめん」
 
十番領の凶片狩の拠点は宿場町を越え、さらに川を渡った先の中心街までいくとある。役所と併設されていて、役所に舞い込んだ事件などの知らせに紫彗片がもし関わっていたらすぐに連絡を取り合えるようになっていた。また、中心街の中にあることで、町民たちからの直接の知らせも受けやすいのだった。この拠点を取り仕切る朱燕の明るく誰に対しても分け隔てない性格も、町民たちが気軽に知らせや相談をしに行きやすい要因だった。
 
中心街に辿り着く長くと、ここもまた宿場町とは違った賑わいを醸していた。この地でずっと商売をしている者たちと常連の町民たちによる和気あいあいとした雰囲気が温かい。八百屋、小間物屋、食堂……様々な店が軒を連ね、霜月の興味の対象は尽きなかった。
 
「すげえすげえー!店だらけだ!」
「そこまで町が珍しいとはな。まさか、君が覚えていない過去でも一度も町など見たことがなかったりしてな」
「んーどうなんだろうなあ。わかんねえ!」
「ふむ。まあ、いずれにせよ町の散策の時間は与える。今はとにかくちゃんとついてきてくれ」
「わかったー!」
 
アラクに腕を掴まれながら、相変わらずきょろきょろと町を見回す。そうこうしているうちに、拠点へ続く道への曲がり角に差し掛かった。町を見回すことに気を取られていた霜月は、半ば引きずられるような方向転換を余儀なくされた。
拠点および役所のある道は裏通りだが、表通りの賑わいがよく伝ってくる。長屋や民家もあり、人通りはそれなりに多かった。しばらく進むと、右手に白い漆喰の塀に囲われた広い敷地が見えてきた。
 
「ここだ」
「ほおおー……!でっけえ!」
「役所と併設だからな。凶片狩の拠点自体はこの半分程だ」
 
正門は拠点に通じるものと役所に通じるものの2か所があり、拠点へは左側の門から入れる。門の両脇には槍をついた屈強な門番が控えている。霜月とアラクは門前に立ち、門番が通過してもよいという合図の会釈をするのを見届けた。
 
「ひえっ」
 
霜月が門番の会釈と同時に、小さく声を上げ、肩を震わせた。一瞬、何故だかは分からないが、門番の動作に本能的な恐怖がこみ上げてきたのだ。門番が頭を上げた途端にそれは治まり、霜月自身も何故今自分が驚いたのか分からず、ぽかんとした。アラクが霜月の様子を見て、心配そうに覗き込む。
 
「どうした?」
「へっ?いや、別に……」
「そうか?具合が悪ければ、この後の説明は保留にして休むといいが」
「いやいや、全然大丈夫!!もう治った!!」
 
霜月は元気に腕を上下に伸び縮みさせてみせるが、内心では今の奇妙な現象に動揺していた。アラクも怪訝な表情を隠せずにいたが、とりあえず門をくぐることにした。
 
門を越えると、まずは広い空き地のような広場が迎えた。広場のそこかしこで鍛錬を行う隊員たちの掛け声と得物の打ち合う音に囲まれながら、2人は左手にある屋内鍛錬場兼寮へと向かった。
その屋内鍛錬場兼寮の隣には、背の高い塔のようなものが立っていた。霜月はそれが気になり、アラクに尋ねた。
 
「なあ、あれなんだ?」
「ああ、『星見櫓(ほしみやぐら)』さ。あそこに毎晩交代で凶片狩の隊員1人が立ち、紫彗の出現と紫彗片が落とされたときのおおよその地点を観測しているのさ」
「ほえー!」
 
よく見ると、櫓の四方を囲む細い柱に、2本の縄が張られている。紫彗が現れたとき、上の縄よりも上に紫彗が出現していればその領内の上空を紫彗が飛んでおり、上の縄と下の縄の間に紫彗が出現していれば領外だがクニのどこかの上空を飛んでいる、ということになる。そして下の縄よりも下であれば、他のクニの上空を通過している……という風に、紫彗が現れる高さによって、どこを飛んでいるのかが分かるようにしてあるのだ。
 
鍛錬場の扉を開けると、鍛錬中の隊員たちの掛け声や木刀の音が霜月を驚かせた。隊員たちの鍛錬を見守り回っている朱燕が、霜月とアラクに気付き、陽気に手を振りながらこちらに向かって来た。
 
「やあ!2人とも待ってたよー!霜月くん、来てくれたんだねえ」
 
にこやかに挨拶を済ませると、霜月の目の前に来、じっと目を合わせた。先程までの明るさとは裏腹の、射抜くような見透かすような真紅の瞳が、霜月を捉えた。しばらくそうしていると、朱燕は少々苦々しい表情で口を開く。
 
「成る程成る程。まあ、なんだ……これから色々と学んでいくことはあるだろうから、覚悟くらいはしといてね」
「??お、おお……」
 
何のことを言われているのか分からず、霜月は曖昧な返事をした。そのあと、朱燕はまた表情を戻し、言った。
 
「さて、稽古が終わったら詳細なことを説明するから、とりあえず上の寮で待っててね!昨日来てくれた祐山くんと相部屋なのと、これからまた人数が増えてきてさらに人が来るかもしれないことだけは了承しといて!」
「!!わかった!」
 
むしろ一人より誰かがいた方が退屈しないで済む、と霜月は大喜びした。鍛錬場の奥に2階へ続く階段があり、それを登った先が隊員たちの寮だった。
2階へと向かいながら、霜月は朱燕の先程の行動について尋ねた。
 
「なあ、朱燕のさっきのあれ、なんだ?」
「ああ……、霜月の心構えの程を見極めたかったのだろう。奴は戦い……ことに戦に対しては精神や考え方に重きを置いているからな。今回の勅命に関しても、めったやたらに覚悟のない者を入れることがかなり不満らしい。私もそうだがな」
「へえー。よくわからねー!」
「……。まあ、いずれ分かるさ」
 
朱燕は、霜月の戦に対する覚悟の低さを見抜いていた。故にあの表情をしたのだった。
 
寮がある2階は中央の廊下を挟んで両側に部屋がある。霜月は一番奥の右側の部屋に案内された。
 
「ここだ。ーー失礼」
 
アラクは一声かけて襖を開けた。6畳の部屋の角に腰掛け、翳は読書をしているようだった。アラクの声に気付き、本から顔を上げて声の方を向いた。
 
「ああ、アラクさ」
 
翳はアラクの隣の霜月を見て、思わず言葉を切り、あからさまに嫌な表情をした。アラクは苦笑した。
 
「そんな顔をしてやるな。今日から六番領への出立までの間、霜月と相部屋になる。他の部屋がもうかなり詰まっているからな。了承してくれ」
「はい……」
 
翳は生気のない返事を吐き出すしかなかった。まさか、霜月が戦の話を承諾するとも思っていなかったし、相部屋になることなどますます予想していなかったからだ。
アラクは踵を返しつつ、
 
「これから共に戦う者同士だ、互いのことを知っておくことに越したことはない」
 
と言って、部屋を出ていってしまった。部屋に2人残され、少しの沈黙のあと、やはり霜月から勢い良く声を放った。
 
「よろしくなー!!」
「……ヨロシクオネガイシマス」
 
翳は眉間に僅かに皺を寄せ、ひくつかせる。まだこの状況が受け入れられていないようだった。当然、翳からは会話が切り出されることはなく霜月がひたすら話し掛けた。
 
「なーなー、翳はどっから来たんだ?どうして凶片狩に入ったんだー?」
「どうだっていいでしょう」
「何でだよー!アラクもお互いのこと知っといたほうがいいって言ってたじゃん!」
「だからって人の過去だの経緯だのを気軽に聞いていいってことじゃありません」
「えー、じゃあ何話せばいいんだよー!あ、そうだ、好きな食べ物!好きな食べ物なんだ?」
「……そういうことでもないです」
 
ついに呆れて、頭を抱えた。翳は本をもう一度手に取って読み始める。
アラクはああ言ったが、翳には霜月と交流する意識などなかった。相性もあるが、まず翳にはこの場(凶片狩)にこんなに浮ついた気持ちでやってきた存在に対して激しい嫌悪を抱いていたのだった。
 
「じゃあ何話せばいいんだよー!」
「……」
「ええー……」
 
霜月がそろそろ落ち込んでしまいそうなとき、部屋の外から朱燕の「入るよー!」という声が聞こえた。翳が「どうぞ」と促すと、朱燕は襖を開けて、右手を上げながら「やあ!」と2人に明るく挨拶をした。
 
「2人とも仲良くできてるかな?ま、それはそれとして、霜月くん。説明をするからちょっと付き合ってねー。祐山くんに昨日言ったことと同じだから、祐山くんはのんびりしといていいよ!」
「はい」
「説明!わかった!」
 
霜月は朱燕の方を向くように座り直し、話を聴き漏らすまいと前のめりになった。
 
「まず、何で凶片狩が君を引き入れたかは理解してるかな?」
「九番領の戦を止めろっておおくにぬしって奴に言われて、人を集めてるって聞いた!」
「その通り。それと実は、もう一つ目的があってね。戦に関連はするんだけど、大国主さんから『九番領に捕えられた「従神(じゅうしん)」一族を取り戻せ』ってやつでね」
「??じゅーしん?なんだそれ?」
「高天原(たかまがはら)の神々に仕える人間のことを『従神』というんだ。その一族がほぼ全員、8年前に九番領にかっさらわれたんだよ。武術にも頭脳にも長けている筈の彼等がどうして簡単にそうなっちゃったのか……は、まあ今は重要じゃないから省くよ」
 
アシハラの北方には、神々が住まう神山「高天原」がそびえ立っている。アシハラの土地の3分の1は高天原が占め、その高さも雲海のはるか上まで続く。どのクニからでもその存在を認めることができる程に大きかった。
その高天原の神々に従う者、従神の一族が、あろうことか九番領の捕虜となってしまっていたのだ。
 
「ほええ……じゃあ、九番領の戦止めて、そいつら助けたらいいんだな!」
「そういうこと。で、その戦と救出の具体的な手段なんだけど」
 
ひとつ間を置き、続ける。
 
「これが普通の戦であれば大将……九番領の領主の首を取っちゃえば楽なんだけど、今回はそうはいかなくてね」
「なんでだ?」
「九番領は今、沢山の紫彗片の武具と紫彗片の原石も抱え込んでる。そのせいで、九番領は紫毒まみれの魔境と化してるのさ。紫毒にかかった万にも及ぶ兵たちは最早、何のために戦ってるかなんて忘れてただ暴れ回るだけの存在になっている。領主自身もね。だから、領主の首を取っても兵たちは降伏するとは限らないんだ」
「えっと……みんな紫毒にかかってて、もう何しても止まらないってことか?」
「そうそう。だから領主を処刑するのは大前提だけど、それで止まらなかったら九番領の武者たちを殺せるだけ殺せ、ってこと」
「お、おお……。殺す、のか……」
 
霜月には、「殺す」という言葉がまだ現実味を帯びなかった。それが恐ろしいことだと分かってはいるが、心からの理解とまではいかなかった。
 
「戦の大きな構図は殺して殺されて、だよ。ほんとは色々と奥が深いけれど……。で、従神一族の救出だけど、彼等も紫毒に侵されている可能性が高い。でも彼等に関してはあくまで殺さずに『救出』。殺さなきゃ何してもいいからとにかく連れ戻せ、ってお達しだよ」
「おう……」
 
考えるのをやめたはずのことが、否応無しに降りかかる。霜月は少しうな垂れた。
 
「あー、もうちょっと説明させてね。あと2日間くらい十番領内で人員募集してから、六番領の拠点にみんなで向かう。六番領の拠点はトキヨノクニの凶片狩を取り纏める拠点で、そこに全ての領の凶片狩が一度集結するのさ。その10日後に、九番領へ出立。これがこの先の日程だよ。頭に入れておいてね。……説明は以上!質問はあるかな?」
 
霜月は俯いたまま、受けた説明の概要を言い聞かせるように呟く。
 
「……九番領の奴等をとにかく、こ、殺せばいいんだよな?で、じゅーしんの一族を助ければいいんだよな?」
「そうだね」
「……ん。うん、やること分かった!!ありがとうな!」
「……おー、物分かりが早くて助かるよ。じゃ、これから宜しくね!」
「おう!」
 
朱燕は霜月に笑いかけるが、内心穏やかではなかった。一応話を傾聴していた翳も、霜月の変化に眉を顰めた。
 
朱燕は部屋から出て、下を向きながら歩き、ぶつぶつと独り言を始めた。
 
「またすごーく危なっかしい子が入ったなあ……。まったく、こんなごった煮で九番領に乗り込めだなんて大国主のオッサンは何考えてんだか……」
「話は済んだようだな」
 
床を眺めていたためにアラクに気付かず、突然の声に思わず少し床から足を離した。
 
「うおっアラク!びっくりした!うん、済んだよー。でも彼、奇妙なくらい開き直りが早いっていうか、多分戦を理解することを放棄してるよ」
「ふむ……やはり、か」
 
先が、心配だ。
そう思いながらも彼を戦に駆り出さざるを得ないことに、アラクは胸を締め付けられる思いに、朱燕は戦の行く末を心配する思いに駆られていた。