1-10

 
一夜明け、霜月と翳は凶片狩の拠点での初めての朝を迎えた。霜月は例のごとく記憶の悪夢にうなされ、翳はそのうめき声であまり眠れなかったという、目覚めの悪い朝だった。
 
「ん~……、んっ?良い匂いがするな!」
 
にもかかわらず、霜月の頭の中は階下から匂う朝餉の香りによってすぐ食欲に塗り替えられた。飯だ!と元気よく飛び出していく彼を見て、翳は本当に単純な人だ、と言いたげな深いため息をついた。飯の匂いを嗅いでも、ちっとも機嫌などよくならないので、余計に苛立たしく感じたのだった。
 
鍛錬場の隅に食堂があり、隊員たちはそこで朝餉を摂っていた。人員が増えた今は、鍛錬場にまで人がはみ出し随分賑わっている。
食堂の壁際に、朱燕とアラクが腰掛けているのが見え、霜月と翳はひしめきあう隊員たちの間をそろそろと抜けて2人のもとへ向かった。2人は彼等に気付き、にこやかに手招きしてくれた。
 
「お早う。丁度、そろそろ起こしに行こうとしていたところだったよ」
「おはよー!飯!飯ー!」
「子どもみたいだねえ、まったく」
 
アラクと朱燕が笑いをこぼした。
霜月が朝餉を待ちわびていると、奥から小さい人影が朝餉を配膳しにやってきていた。隊員たちの間をすり抜けながら、時々よろけている。見兼ねた霜月がその人影を手伝いに走った。
 
「俺も運ぶよ!」
「う、ありがとう、そーげつにいに!」
 
小さなその人物はたいそう嬉しそうに笑顔を咲かせた。齢は6、7歳ほどの少年のようだが、黒くて長い耳と、同じ黒をした毛深い尻尾があるという風変わりな容姿だった。
 
「おうよ!って、あれ?お前、会ったことあるっけ?あとその耳と尻尾、ホンモノか!?」
「ホンモノだぞー!そっか、このかっこうであうのははじめてだよね!ボク、シマキ!アラクねえねの『えまきじゅう』だぞっ!」
「え、えまきじゅう?」
 
初めて聞く単語に首を傾げ、それを間の抜けた声で復唱した。ここに来てからというもの、初めて尽くしで霜月には新鮮なような大変なような気分が絶えなかった。とりあえず、膳を持って翳たちのもとへ戻り、アラクにこの単語について尋ねることにした。
 
「絵巻に描かれた獣が具現化し、持ち主に従うという存在……いや、種族と言った方が良いか。中にはシマキのように、人間に近い姿を取って会話をする者もいるのだ。名前くらいなら誰でも知っているようなものだが、初めて聞くのか?」
「うん、初めて聞くぞ!そんなのがいるんだなー!でっかい獣になったり喋ったり、シマキってすげーな!」
「えっへへー、すごいんだぞー!」
 
霜月の言葉に気分をよくして、シマキは自慢げに胸を張った。その後も、翳を除いて、4人は談笑しながら朝餉を頬張った。霜月が度々翳に話の輪に入るように促したが、むすっとするばかりだった。
 
 
 
 
皆食べ終わり、他の隊員たちも掃けていく頃、朱燕が思い出したように呟いた。
 
「そうだ、そろそろ『あの子』が帰ってくるかな?」
「?あの子って誰だ?」
「一応凶片狩の一員の子でね。何日か里帰りで居なかったんだけど、今日帰ってくる予定なんだよ」
 
大国主の勅命がくだってから増えた者だろうか。が、その割には親しみをもった語調だった。
 
がらっ。
 
噂をすれば、食堂の戸が開き、慣れた様子でその人物は入ってきた。背後には隊員の男も数名ついてきていた。
 
「ただいま帰りました。丁度、任務の帰りに鉢合わせたもので、共に帰って参りました」
「ご苦労さん!リョクも長旅お疲れさんー!」
 
朱燕は立ち上がり、リョクと呼んだ人物を笑顔で迎えた。リョクも微笑んでそれに答えた……と言っても、口元しか見えないが。
襟のついた黒い上着の上に、渋い藤色をした羽織をかけ、目深に被ったつば付きの黒い帽子で目を隠している。見るからに洋風のいでたちで、少年とも少女ともつかない風貌をしていた。
 
「うん、有難う。それにしても、知らない間に随分賑やかになったんだね、朱燕さん」
 
リョクはきょときょと食堂を見回していたが、霜月たちの視線に気付いて慌てて彼等に向き直った。突然の来訪者を不思議そうに見つめる霜月たちに、朱燕が代わりにリョクの紹介をしてやった。
 
「この子は茶ノ碕(ちゃのさき)リョク。色々あって、凶片狩で保護って扱いになってるんだけど、任務もよく手伝ってくれてるんだ」
 
紹介されたリョクは、姿勢を正して改めて名乗った。
 
「あ、うん、茶ノ碕リョクです。宜しくお願いします!」
 
帽子を押さえつつ、ぎこちない様子でぺこりと頭を下げた。見慣れない面々を前に緊張しているようだった。朱燕はリョクが名乗り終えると、今度はリョクに面々の紹介をした。
 
「で、彼らは霜月くんに、祐山翳くん。今回の勅命で入ってもらった有志だ。んで、こっちはアラク。その隣がシマキ。ちなみに、アラクは凶片狩の『最頭(もがしら)』……つまり、全クニの凶片狩のお頭さんだよ」
 
聞いていた一同が皆唖然とした。
 
「そ、そーだったのか!?アラクすげーエライ人ってことか!?」
「……何故もっと早く言わなかったんですか」
 
霜月と翳がそれぞれに驚きを隠せず声を上げた。リョクは言葉なく口をぽっかり開けている。皆の様子に朱燕は意外、という表情をした。
 
「あれっ教えてなかったの?」
「私の身分を明かして、変に身構えられては彼らの力量を測りかねると思ってな。いつ言おうかと考えていたんだ。……とは言っても、特に身分を気にして接することはない。むしろ、変に余所余所しくされるのは私も苦手でね」
 
君たち2人はこれまで通りで構わないし、茶ノ碕も気を張ることはないよ、と笑顔で付け加えた。アラクはこう言っても、やはり凶片狩の総大将を前に緊張しない訳はなかった。しかし霜月だけは例外的に、変わらず快活な笑顔を浮かべていたのだった。
 
「は、はい……!宜しくお願いします。えと、霜月くんと祐山くんも、宜しくね!」
「おうよーっ!!よろしくな!」
「宜しくお願いします」
 
そうして一通りの挨拶を済ませると、この後の皆の行動について話し合うことになった。新しく入ってきた者は、基本的に隊員たちとの手合せや軽い任務への同行から始まる。霜月たちもそのような予定のはずだった。
 
「さーて。俺は訊問組の報告を聞きに行かないとねー。霜月くんたちはそうだなあ、鍛錬でも……」
 
朱燕が言い掛けたところで、外からバタバタと数人の足音が聞こえ、寮の戸が乱暴に開け放たれた。駆けこんできたのは尋問組だった。ただならぬ様子で、足早に朱燕のもとへやってきた。
 
「朱燕殿っ……!!」
「何何、どーしたのさ騒々しいなあ」
「先日捕えた盗賊の少年が消えました!」
「……はっ!?」
 
盗賊の少年とは、黒縄のことだった。経緯を聞くと、番は牢の前から一歩も動いていないにも関わらず、消えていたという。
朱燕は難しい面持ちで少し考えていたが、やがて口を開いた。
 
「んー……今は理由の詮索よりもあいつを探すことだね。霜月くん、祐山くん!予定変更、あの長髪くんの捜索を手伝ってもらう。また悪さされちゃ敵わないし、聞き出したいこともあるしね」
 
指示を受け、霜月と翳はすぐに快諾の返事をした。
 
「おう!!」
「承知しました」
「うん、頼んだよ!」
 
2人と他の隊員たちが急遽街へと繰り出し、少年の捜索にあたった。アラクも、少年が街を出ている可能性を考え、空中を素早く移動できるシマキを使って手伝うことになった。
 
 
 
霜月と翳は、特に人通りの多い通りを捜索することになった。霜月は時々人とぶつかりながらきょろきょろと周囲を見回し、翳は霜月がふらふら歩くのを制しつつ、周囲の気配に気を配っていた。
 
「こんなに人がいたらわっかんねえよー」
「静かにしててください。気が散ります。あとちゃんと歩いてください」
 
街は人の往来が多く、とてもではないが探せるものではない。霜月はふてくされ始めていた。翳も翳で、あの少年が持つ火万気の気配を察知できないかと気を張っているが、どれだけ歩いても何も感ぜられず、少し苛立っていた。
翳の静かにしろという言葉を気にすることもなく、霜月は「んー」と唸りながら歩いていた。そして、突如はっと顔を上げると、
 
「いや、隠れんなら人がいないとこだよな、多分!」
 
と言って、大通りから裏路地へと駆けていった。
 
「は?ちょっと、勝手に動かないでください!」
 
仕方なく、翳も霜月の後を追って裏路地へ走っていった。
細い道を選んでどんどん進んでいくうちに、小さな森のような場所へ抜けた。あまり人が立ち入らないのか、背の高い茂みが行く手を阻むように広がっている。
 
「スッゲー怪しいとこについたな!」
「はあ……」
「な、こん中手分けして探そうぜ!絶対怪しい!」
「……分かりましたよ」
 
翳は渋々、と言った様子で茂みを掻き分けて森へと足を踏み入れた。一方の霜月は、鼻息を荒くしながら意気揚々と茂みへ飛び込んだ。
 
途中で二手に分かれて、霜月は大声で叫びながら少年の行方を探した。
 
「おーーい!!誰かいねーかー!!いるんだろー!?分かってるんだぞー!!」
 
いるのかいないのか分からないが、とりあえず煽ってみる。が、当然何も起こらない。
 
「話が聞きたいって言ってたぞー!!ひどいことしねーからさー!!おーい!!」
 
しばらくこのようなことを続けるが、何の成果も出なかった。
 
「はあ……ここにはいねえのかなあ」
 
諦めようという気持ちが芽生え、踵を返そうとしたとき、樹上から何かが降ってくる音がした。霜月はそれが自分の上からだと気付くと、咄嗟に横っ飛びに避けた。
 
「ちっ……」
 
落ちて来たのは、爪を出して霜月の背を切り裂こうとしていた黒縄だった。その姿を見るなり、霜月は「あー!!」と声を上げ、指をさした。
 
「やっぱいたんじゃんー!!呼んでたのに何で出て来てくんなかったんだよー!」
「呼ばれてハイハイって出ていくバカがいるか!!」
「でも今出て来たよな?」
「探されたら厄介だからオマエの口を封じてやろうと思ったんだよ!」
「何でだよ!朱燕たちは話がしたいって言ってただけだぞ!」
「オマエの頭はほんっとにお花畑だな!」
「んだとー!!」
 
2人ともすぐに喧嘩腰になり、にらみ合う。先に口を開いたのは、黒縄。
 
「いいか、敵の凶片狩にオイラが簡単に口開くと思うか?開かないから、話ができない。話ができなかったら、どんな手を使ってでも口を開こうとしてくる。奴等の言うお話ってのはそういうもんなのさ!」
 
朱燕の言葉を鵜呑みにしている霜月に現実を突きつけてやろうと、悪意のある笑みを浮かべながらまくし立てた。この状況でここまで口を開くのも珍しい事だが、無知な相手を少しコケにして、抱いている苛立ちをどうにかしたかったのだった。
霜月は、完全には理解できていないようだった。
 
「そ、そうなのか……?」
「ああそうさ。オイラの主だって、あの牢でタコ殴りにされてたさ。……オイラは、殴られまくって少し正気を取り戻した主に逃がされてここにいるのさ。絵巻獣ってわかるか?オイラは蛇だ。蛇になって、隙を見て、逃げて来た。とっくに俺はてめえの主にふさわしくなくなってた、自由になれ、って言われて、な」
 
嫌らしい笑みを浮かべていたが、語尾に近くにつれて、ささやかに別の気持ちが言葉に流れ込んでいる気がした。霜月の頭ではすべてを分かることは出来なかったが、黒縄のわずかな感情の動きだけは感ぜられた。
 
「……おしゃべりがすぎた。口を封じてやろうと思ったけど、奇襲が失敗しちまったらオマエに敵う術はねえ。今はオマエから逃げる。じゃあな」
「ま、まてよ!!」
 
霜月は森の奥へと走っていこうとする黒縄の腕をがしっと掴み、引き寄せた。
 
「な、何すんだ離せ!!」
「お前、根っから悪い奴には見えねえもん!主の話してたとき、悲しそうだった!悪い奴がそんな顔できるわけねえもん!」
 
黒縄はあっけにとられ、しばらく言葉を失った。霜月の馬鹿と呼べるくらいに純粋な心への嘲笑と、自分の中に隠れる本当の気持ちとが頭を巡った。
何かを思慮したあと、再び黒縄がいつものつっけんどんな雰囲気に戻り、言った。
 
「……本当に悪い奴に見えないんだな?何をしてもか?」
 
黒縄の言葉に、霜月は首を大きく縦に振った。
 
「おうよ!だからさ、きっと朱燕たちも分かってくれるって!戻ろう!な!」
「ふうん……、……分かったよ。じゃあオイラ、先に戻るから。オマエは後から、来い」
 
そう聞いて、霜月は心底嬉しそうに、ぱあっと笑った。
 
「おっしゃあー!じゃあまたあとでなー!!」
「……」
 
大きく手を振る霜月に黙って背を向け、今度は森の奥ではなく街の方向へと走っていった。黒縄を見送ったあと、霜月ももと来た道を意気揚々と引き返した。
 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    (土曜日, 11 6月 2016 10:53)

    新キャラ、リョク登場!