1-7

 
霜月とアラクは加工屋の穴へと足を踏み入れた。
穴は存外に奥行があり、延々と暗闇が続いている。秘密裏に紫彗片を加工するとなると、ここまでしなければ刃を鍛える音などが漏れてすぐに場所が割れてしまうということなのだろう。
穴に入ってから緊張で全く口を開かなかった霜月だったが、静寂が余計に緊張を駆り立てる気がしたので、恐る恐る口を開いた。
 
「な、なあ。アラクは紫毒って平気なのか?」
「いや。だが常人より耐性はある」
「そうなのか!?すげえな!えーっと、じゃあじゃあ……」
「気が削がれるからあまり話し掛けないで欲しいんだが」
「うえっ、ご、ごめん……」
 
アラクにぴしゃりと会話を中断され、しょんぼりとしながら黙り込んだ。その後も、緊張と喋りたい気持ちを堪えて歯を食いしばりながら歩を進めていった。
 
『ーーまだまだ早い』
「……?えっ?」
 
ふと、霜月の耳に……否、頭の中にあの声が、紫毒の幻聴が響いてくる。声は嘲笑うかのように反響し、不快な揺らぎをもたらした。霜月は思わず足を止め、頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。
 
『思い出すには、早い……』
 
記憶のことだろうか。
疑問と、眩暈に似た揺らぎを振り切るかのように、腹から叫んだ。
 
「どっ、どういうことだよ!!」
 
これに紫毒の声が答えぬうちに、いつの間にか霜月の両肩を掴んで揺すっていたアラクの声が意識を引き戻した。
 
「霜月っ!!」
「ふわっ!?あ、アラク?」
「耳を貸してはならないと言っただろう!お前はここで引き返せ」
「で、でも……」
 
反論しようとしたが、アラクの有無を言わさぬ剣幕に封じ込められ、肩を落とす。
 
「わかった……」
 
まだ前へ進みたい爪先を辛うじて反対側へとやり、とぼとぼと引き返していった。その間にも声は霜月に語りかけてきていたが、今度は無視を決め込んだ。
 
『お前も必ず同じになるよ』
 
声がケラケラと笑うのが聞こえる。霜月は声から遠ざかろうと段々足を早め、目論んだ通り声はしばらくすると聞こえなくなった。
 
 
 
 
 
霜月は穴から出て、待機している翳と黒縄と合流した。
 
「思ったより早かったですね」
「だって声が……あっ」
「はい?」
「さっき、おまえ紫毒に侵されかけたことあるって言ってたけどほんとか!?」
「嘘ついてどうするんですか。それがどうかしましたか」
「あ、いや、なんでかなーって」
「話す必要はないです」
「ううー……」
 
先刻の紫毒の声の余韻がまだ残り、なんとかしてそれを忘れたかったがために無理矢理会話を持ち掛けたが、案の定続く事はなかった。仕方なく、会話の対象を黒縄に移した。
 
「な、何見てんのさ……」
「大丈夫か?何だっけ、ばんきのぼーはつ?ってやっぱしんどいのか?」
 
敵の心配をする霜月に翳が不満な顔をするが、霜月は全く気付いていない。
 
「何で敵の心配すんだよ。関係ないだろ」
「関係なくない!俺も火万気らしいから聞いときたいなーとか……」
「うっさい」
 
黒縄にも一蹴され、ついに話し相手が居なくなると、大きな溜息をつきながら穴へ目をやった。
 
(アラク、大丈夫かなあ)
 
穴からは物音ひとつ聞こえてこない。様子を窺う術もなく、丸く切り取られた闇をぼうっと眺めていた。
 
「ーーウアアアァアアアアアアァアアァア!!」
「へっ!!?」
 
突然、穴の奥から形容し難い音程のけたたましい悲鳴が反響してきた。穴の奥行きはかなりある筈なのに、はっきりと聞こえた。翳も思わず瞠目する。
一度きりで悲鳴は止んだが、驚愕から暫しの間が生まれた。
 
「……い、いまのなんだ!?」
 
霜月が我に返り、あたふたしながら翳と黒縄に尋ねる。
 
「加工屋の声さ」
「そ、そうなのか……。どうなったんだろう……」
 
答えたのは黒縄。悲鳴が聞こえたということは、加工屋は何らかの制裁を受けたということだろう、黒縄は苦々しい顔をしていた。
それでもアラクの安否を気にしながら再び待っていると、自分たちがここまで来た方角から聞き覚えのある風切り音と、多数の足音がこちらに近付いてきた。見ると、何者かを背に乗せて飛んでくるシマキと、それに走ってついてくる十数人の武者たちだった。
霜月たちの眼前まで来ると、シマキは地面に降り立ち、背の男を降ろすために身を低くした。それに応じ、ひょいと背から降り、霜月たちのもとへ近付いた。
 
「おっ、3人か!……いや、そこの長髪くんは違うかな?まあいいや。アラクと一緒だったんだよね、君たち?」
 
その男は燃えるような赤い長髪、派手な牡丹色の羽織、首には襟巻を、腰には2本の大刀を差していた。
 
「お、おう!そうだぞ!でも今はこの穴の中にいる!」
 
霜月は答えながら、一体何者なんだろうと怪訝な目を向けた。
 
「そっか。有難う!あっ、俺は十番領の凶片狩を仕切ってる司頭(しがしら)の朱燕(しゅえん)っていうんだ。んで彼等は隊員たち。宜しくね!」
 
男ーー朱燕の自己紹介を聞き合点がいった霜月は、自分の名も名乗った。
 
「よ、宜しくだぞ!俺は霜月!で、この白いのは」
「祐山翳と申します」
「霜月くんに祐山くんね!宜しくー!アラクが出てくるまで、一緒にここに待機させてもらうからねー」
 
朱燕は涼しい笑顔で穴を眺め始めた。霜月と翳、そして黒縄もアラクを再び待った。
 
それから程なくして、アラクが気を失った加工屋を肩に担いで穴から帰ってきた。無事に戻ったその様子を見て、霜月の表情がぱっと明るくなる。
 
「アラク!!よかった無事だったんだなー!すげえ声聞こえてきたからどうなったか心配だったんだ!」
「ああ、すまなかったな。聞こえたのはこいつが逆上して武器を掲げたときの叫び声だろう」
 
加工屋の工房には、紫彗片の武具が複数置かれていたのだった。だが、武術の心得のない者が振るったところで何の意味もない。アラクは楽々と加工屋を失神させて、こうして帰ってきたのだ。
 
「朱燕。そちらは手筈通りか?」
「勿論さ。盗賊の頭は今頃獄中だよ。で、こっからは穴の中の紫彗片の武具を回収すりゃいいんだよね?」
「ああ。くれぐれも気を付けてな」
「分かってるってー。毎度毎度心配性なんだからさあー」
 
朱燕はそう言って、隊員たちに指示を飛ばした。一人には黒縄の捕縛をさせ、残った隊員たちは朱燕とともに穴に入っていった。
 
アラクはそれを見送ると、霜月と翳の方を向き、言った。
 
「さて、これでこの任務は終わりだ。だが……2人に話しておきたいことがある」
「俺達に?」
「……」
 
霜月はぽかんとしているが、翳は何かを得心した様子だった。アラクは2人を穴から少し離れた場所につれていった。
 
 
 
 
 
「話ってなんだ?」
 
霜月が一番に尋ねる。アラクは真剣な眼差しで、
 
「単刀直入に言う。お前たちを、凶片狩の一員として迎えたい」
 
と、答えた。
 
「……ほえ!?」
「……」
 
霜月は突拍子のない話に思考が追い付いていなかった。反面、翳は大人しく話の続きを待っている。
アラクは続けた。
 
「凶片狩の採用には普通、様々な試験を通すのだが、現在は一時的に大国主の勅命によりトキヨノクニの凶片狩の人員をなるべく早く、沢山募らなければならないことになっている」
「え、えっと……?」
「紫彗片を盗賊から取り返すために君を同行させたのも、今回の任務も、すべては君の力を試すためだったんだ。奴らが九番領と通じているかもしれないことは本当だがな。祐山に関しては想定外の乱入だったが、君の力も見させてもらった」
 
まだ半ば理解が及ばず混乱しながらも、思った疑問をアラクにぶつけた。
 
「じゃ、じゃあ俺の記憶のためってのは嘘だったのか?」
「ああ……本意は、今言った通りだ。申し訳ないことをしたと思っている」
「むう……」
「無論、強制ではない。村の者たちと相談する時間も与えるし、訳も話す」
「……うん……なんかよく分かんねえまま話進んでるからちょっと考えさせてくれ……」
「勿論だ。……祐山は、どうする」
 
問われた翳は、アラクの目をしっかり見据え、
 
「お誘い、お受けします。そのために、盗賊たちを追っていました」
 
と、合意を示した。
紫彗片を持ち去る盗賊たちを尾行していれば、いずれ凶片狩に鉢合わせる……そう考えて、彼等を追っていたのだった。
 
「ほう……。随分以前から、凶片狩に入るために行動していたと見受けられるな。興味深いが、話は後にして……祐山はこのままここで朱燕たちが回収を済ませるのを待って、彼等とともに十番領の拠点へ同行してくれ。そこで詳しい説明も受けられる。説明を受けた上でもう一度合意となれば、正式に入隊となる」
「了解しました」
 
翳との話が終わると、アラクは霜月に言った。
 
「霜月は私とともに再び村へ戻ろう。君への説明は村の者たちを交える」
「わかった!」
 
霜月とアラクは、翳に見送られながら村へと向かって歩き出した。
 
 
 
 
 
昼を過ぎた頃に、村に辿り着いた。
2人はまず村長を訪ね、レイを含めた霜月とかかわりの深い村人たちを村長の家に集めた。
アラクから一通りの事情を聞いた村人たちからどよめきが沸き起こり、彼等の気持ちを代弁するかのようにレイが尋ねた。
 
「何かおかしいと思ったら、そんな目的があったんですね。とはいえ、突然そのようなお話をされても……。霜月くんは確かに戦えます。けれど、戦いを生業とした武者たちと比べれば凶片狩の戦力として数えられる程では……」
 
レイの言葉に続き、村長も疑問を投げかけた。
 
「レイの言う通りじゃ。凶片狩のお方、武者以外の者をも募らねばならない程、凶片狩は切羽詰まっておるということですか?大国主様の勅命なんて、ただ事じゃあない」
「凶片狩が、というよりは、トキヨノクニが今非常事態に直面していて、それを憂えた大国主様が今回の勅命を発したんだ。噂くらいには聞いていると思うが、事の発端は九番領の内乱だ」
 
聞いていた全員が、さらにざわついた。霜月は話が読めずに目を丸くしていた。
 
「へえ、聞いております。なあ?」
「ええ……。でもそれがどういう……」
「簡潔に言えば、トキヨノクニの凶片狩は九番領の内乱の沈静化を命じられたのさ。今はそのための人員集めの段階でね」
 
アラクの答えに、レイは声を震わせながら言った。
 
「つまり……凶片狩は、九番領と戦をする、という訳ですね。そこに霜月くんを……」
「え!?い、戦!?」
 
ぼうっとしかけていたところに、戦という言葉が飛び込んできて、霜月は思わず少し飛び上がった。
 
「そういうことだ。故に、村の者たちと相談のもと、決めてもらいたかったのだ」
「んー……でも、戦なんて急に言われても……」
 
困ったように、レイに視線を送った。答えを求めるような目だった。
 
「そりゃあ……戦なんて聞いたらすごく心配よ。正直に言うと、行かせたくない。でも、記憶のこともあるし、ここにずっと留まっているよりは、凶片狩を身寄りに外へ出て行った方がいいのかもしれない。……って、甘いかもしれないわね、身寄りに、だなんて」
 
レイも、迷っていた。この村に留まらせるか、凶片狩に入るか、このどちらが霜月にとって良いのかが分からなかった。どうしても、これは霜月に判断が委ねられるものだった。
 
「でも、霜月くんがどうしても行くっていうのなら、止めないわ」
 
霜月は返事に窮した。その状態のまま、しばらく村人たちのざわめきのみが家を満たした。アラクは迷う霜月を見かね、
 
「今すぐに決定してくれとは言わない。もし今決められなければ、一晩決断の時間を与えるが、どうする」
 
と、助け舟を出した。
 
「うん、それがいい……。なあレイ、いいよな?」
「ええ、勿論」
「分かった。では、明日の同じ時間にまた返事を聞きに来よう。……出来れば、良い返事を聞かせてもらいたい」
 
そうして、凶片狩への参入の返事は保留となった。
村長の家を出て、十番領の方角へ歩いていくアラクを、霜月は鬱屈とした気分で見送った。
 
 
 

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コメント: 1
  • #1

    和泉守 賢 (金曜日, 05 2月 2016 20:17)

    朱燕 登場(^o^)