霜月はシマキの背で少し冷たい風を受けながら、紫彗片のことについて考え込んでいた。
「あの変な声、何なんだろうなあ……。紫彗片の近くにいるときだけ聞こえてくるんだよなあ」
シマキという語り相手がいるからか、考えていることが口をついて出てきた。シマキは少し首を霜月の方に動かして傾聴しているようだった。
「でも、あの声、前にも聞いた気がするんだよな。よく覚えてないけど……」
霜月はうーんと唸りながら、夜空に顔を向けた。もう紫彗はどこかへ消え、薄雲にかかり淡く輝く星空が広がっていた。
「俺、実は元からあの村に住んでた訳じゃないんだ。気付いたらレイおばさんちで寝ててさ。それより前のこと全然覚えてないんだ。でもあの声だけはなんか聞き覚えがあるんだよな……」
それからしばらく物思いにふけっていると、シマキが降下を始めた。霜月ははっと下を見下ろすと、アラクと翳、そして叩きのめされて地に倒れ伏している盗賊たちが見えた。そのうちの1人にアラクが何かを話しかけ、それを翳が見下ろしている、という状況だった。
シマキがアラクたちのもとへ着地すると、霜月はシマキの背から降りてアラクのもとに駆け寄った。アラクは気付いて振り返り、口を開いた。
「ああ……無事に運べたようだな。有難う。約束通り、村への処罰は免除しよう」
霜月はそれを聞いてぱっと笑顔になって飛び跳ねた。
「ありがとう!!よかったあー」
「約束したことなのだから、礼を言われることなどないさ。あとは、早く村に帰ってやるんだ。皆心配しているだろう」
アラクは霜月に微笑んだ。しかし、霜月は笑顔から一転、少し沈んだ面持ちでアラクに目線を返す。
「?どうした」
「いや、帰る前にちょっと……」
霜月は、先程シマキに語り掛けていた内容をアラクにも打ち明けた。アラクは聞けば聞く程険しい顔つきになっていった。霜月はアラクの表情の変化を見て得体の知れない不安に駆られ、「な、なんかあんのか?」と声を震わせながら尋ねた。
「……君が聞いた声は、紫毒による幻聴だ。あれは心中の不安や負の感情、欲望に語り掛けてくるものだ。耳を傾けてしまっていれば、君もあの頭のようになっていたかもしれない」
霜月はぞっと肩を震わせた。アラクの後ろで聞いていた翳も眉間に皺を寄せて俯いたが、2人は気付かず話を続けた。
「それと……君が失っているという村に来るより以前の記憶に、紫彗片が関わっている可能性が高い」
霜月は驚いて、尋ねた。
「じゃあ、紫彗片の近くに居れば、思い出せるかもしれないってことか?」
「そういうことになるだろうが、危険すぎるな」
だよなあ、と霜月は肩を落とした。アラクは霜月の様子を見て少し考え込んでから、
「……我々も一緒に村へ降り、君を加工屋の捕縛に同行させることができないか掛け合おうか?」
と言った。霜月はばっと顔を上げ、期待の眼差しでアラクを見た。
「ほ、ほんとか!?連れてってくれるのか!?」
「村人たちが許せば、な」
霜月は再び笑顔になり、喜んだ。
「では、行こうか。シマキはここで盗賊たちを見ていてくれ。君は一緒に村へついてくるんだ」
「……はい」
シマキは、がお、と返事をした。白い剣士は何故か腑に落ちない様子だったが、霜月とアラクとともに村へと降りていった。
村に着くときには、もう夜が白んできていた。
多くの村人たちはアラクが去ってから再び床に就いていたようだが、レイを含めた数人はまだ、紫彗片を隠していた山のふもとで霜月の帰りを待っていた。
「!霜月くん!!無事だったのね!」
山道から霜月たちが降りてくるのを見て、レイは安堵の笑顔を浮かべた。他の村人たちも口々に霜月の無事を喜んだ。アラクの他に一人見知らぬ剣士がついてきていることが少し不思議だったが、気に留めず霜月に駆け寄った。
「レイおばさん!ただいま!ちゃんと紫彗片取り返して、回収してきたぞ!」
「そう……頑張ったのね……。有難う」
霜月とレイ、そして村人たちはしばし再会を喜んでいた。しばらくして、レイがアラクに顔を向けた。
「本当に有難うございます。これで村は……」
「ああ。約束通り、処罰はしない」
レイはそれを聞いて深々と頭を下げた。アラクはレイが頭を上げるのを待ってから、いよいよ本題に入った。
「もうひとつ、話がある。霜月が記憶を失っていることは、村では周知されているな?」
「?え、ええ。勿論ですけど……何か……?」
アラクは霜月に提案したことと、霜月がそれに賛同していることを話した。
レイは不審そうな面持ちで聞いていた。
「霜月くんが望んでいることですし、あなたが居れば安全だということも分かるんですが、なぜそう簡単に凶片狩の任務に連れていくことができるのでしょう……。戦えるとはいえ、まったく関わりのない人を連れて行くのは、その、問題になったりしないんですか?」
「極秘の任務であれば問題だが、そうでない場合は有志の協力を仰ぐこともあるから問題はない。今回はそのそうでない場合の任務だ」
「そう、ですか……」
レイはそれでもまだ納得がいかない様子だったが、霜月がレイの思慮を遮った。
「大丈夫だって言ってるんだし、大丈夫だ!!な、お願いだよ。なんか思い出せるかもしれねえんだから!」
霜月は迫りながらレイに懇願した。レイはまた考え込んでしまったが、そのあと意を決して、
「……分かったわ。必ず、無事で戻るのよ」
と言った。
「!!ありがとう、レイおばさんっ!!」
霜月は嬉しさのあまり、レイに抱き付いた。レイから離れると、またアラクたちのもとへ戻り、レイと村人たちに手を振って、アラクたちと山道へと引き返して行った。
レイたちは霜月たちの背を不安げに見送り、見えなくなってもしばらくその場を離れることができなかった。レイの心には、まだ霜月を任務に簡単に連れていったということへの違和感が残り、なかなか拭えずにいた。
(何もなければ、いいけれど……)
後ろ髪を引かれる思いで、レイと村人たちはようやく山道に背をむけて歩き出した。
アラクを先頭に、霜月と白い剣士がついて山道を登っていた。しばらく無言だったが、その沈黙に耐えきれず、霜月が白い剣士に話しかけた。
「なーなー、お前なんて名前なんだ?」
「……祐山 翳(ゆうやま かざし)です」
「そっか!よろしくな翳!」
「何でいきなり名前なんですか」
「?だめか??」
「駄目というか……無礼だとは思わないんですか」
「エッ、なんで?」
「……」
霜月の馴れ馴れしさに苛立ち、白い剣士ーー翳は不機嫌そうな顔で黙り込んで答えなくなってしまった。霜月は翳の顔をしきりに覗き込むが、何の反応もしてくれなくなり、仕方がないので再び黙って歩を進めた。
歩いているうちに朝日が昇り、暖かな光と鳥のさえずりが山を包み始めた。山道を外れ、盗賊たちとシマキがいる場所に到着すると、アラクが盗賊の中の一人を叩き起こした。先刻、アラクと何かを話していた男だった。
「起きろ。相談した通り、加工屋まで案内してもらう」
男は目を覚まし、傷を庇いながらゆっくりと起き上がった。翳が付けたと思われる右肩の刺し傷の他にも、目立たないだけで腹に何らかの攻撃を受けたのか腹部を押さえていた。アラクは他の者たちも起こして回るが、頭だけは失神させたままシマキの背に担ぎ上げた。紫毒の影響を受けすぎていたため、紫彗片から遠ざかってもまだ紫毒が残り、目覚めたら暴れだすかもしれないからだった。
「道案内の他は私の後ろだ。霜月と祐山、シマキは彼等の背後について逃亡されないように見ていてくれ」
「おうよ!!」
「承知しました」
2人に続いて、シマキもがうっと返事をした。
霜月たちは、盗賊の男の案内に従い、加工屋を目指した。
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