1-1

野の花と陽の香りの余韻を穏やかな風が運ぶ夜。<アシハラ国・トキヨノクニ十番領>領内、山中のとある小村では、どの家も静かな寝息に包まれていた。

そんな心地よい静けさの中、一人悪い夢にうなされて目覚め、気晴らしにと家の引き戸をそっと開けて出ていく者がいた。

 

「んー……また眠れねえ……」

 

外に跳ねた癖のある髪をぐしゃぐしゃ掻き回しながら、その青年は何気なく夜空を見上げた。薄雲が切れ切れになっているが、天候の良い星空だった。

 

「……ん?」

 

ふと、北側の薄雲の中に紫色の閃光が見えた。光の尾を引きながら、この村の方角に向けて夜空を滑空してくる。

薄雲を抜けて現れたそれは、数多くの星の輝きをも凌駕する、紫の不吉な光をまとう大彗星だった。

 

「紫彗(しすい)だ……!」

 

大彗星ーー紫彗の姿を認めると同時に、青年が出てきた家から中年の女が眠い目を擦りながら出てきた。

 

「霜月(そうげつ)くん、また怖い夢?大丈夫?」

「あ、レイおばさん!ゴメン、起こしちまって。全然大丈夫だけど俺、夢よりあれが気になるぞ」

 

青年ーー霜月が紫彗を見上げながら指さした。レイは同じように紫彗を見上げ、少しふくよかな顔を不安げにしかめた。

 

「あら……また出てきてるのね。この月に入って何回目かしら。こんなに何度もなんて只事じゃないわ」

「でもさ、出てきてる割には何も起こらないじゃん。災いの象徴で、あれが出てきたら決まってすぐにデッカイ災いが起こるんだろ?」

「何も起きないのがかえって怖いのよ」

 

紫彗は、太古の昔からアシハラ国中で目撃され、これが現れて間もないうちに大規模な天災や戦が起こったため『災禍の象徴』として語り伝えられてきた。現れる頻度は年に数回あるか無いかのものだったが、最近徐々に頻度が増え、月に数回は見られるようになったのだった。しかし、起こる筈の大きな災いと呼べる出来事は起こることは不思議と無かった。

 

「ふーん……」

 

霜月はしばらく紫彗を見上げていたが、やがて眉を顰めて目を伏せた。

レイや他の村人たちが紫彗を見て感じる気味の悪さとはまた違うことを霜月は感じていたのだ。

 

(なんか見られてるみたいで気持ち悪ぃ……)

 

見透かされているような、嘲笑われているような感覚。あの彗星が、上空からそうしてこちらを見下ろしている気がするのだった。

 

(毎晩見るよく分かんねー夢にもそんなんが……)

 

霜月が毎夜のようにうなされる悪夢。とても嫌な夢だということだけ覚えているが、何があったのかまでは何回見ても思い出せないその夢の中にも、今感じている気持ちの悪さと同じ感覚があった。

考えにふけっていると、レイが隣であっ、という声を上げた。

 

「どうしたんだ?」

「今、紫彗が光っ……」

 

レイが言いかけたとき、紫彗から突如、地までも揺らす重い唸りのようなものが発せられた。

 

ーーグオオオォォオオオンーー!

 

はるか上空にあるはずの紫彗が放ったそれは、この村の……否、国全体の大地をゴロゴロと揺さぶった。村が所在する山の木々は激しくざわめき、驚いて眠りから覚めた鳥たちがいっせいに羽音を立てる。

霜月とレイは互いに支えあいながら、唸りが収まるのを待った。その間に、村人たちも唸りで起こされ、家から出て不安げな声を漏らしながら紫彗を見上げていた。

ようやく収束し、霜月とレイ、そして村人たちもほっと胸を撫で下ろした……が、その直後、また紫彗から放たれたものがあった。

 

「なんか、こっちに向かって落ちてくるぞ!」

 

唸りが止んだと思うと、今度は紫彗から何か光るものが分離した。それは、まっすぐに村へ……それも、霜月とレイが居る場所の目の前を着地点にして落下してきた。

落ちてくる光るものを目で追いながら、霜月とレイは後ずさった。そして、それは地響きと土煙を上げながら地面に突き刺さった。村人たちも、この場所にぞろぞろと集まり、土煙を囲んだ。

土煙が晴れて、光るものの正体があらわになると、村人全員が目を見張った。

 

「紫彗片(しすいへん)……!」

 

紫彗片とは、紫彗が落としていく破片のことである。透き通った紫色をしており、所々見る角度によっては赤や青を帯びて見える。この美しさ、そして鉱石の中で最も優れる硬度、さらに紫彗が現れた夜にしか入手できない貴重さから、高価で取引される鉱石だ。これを落としていくことから、紫彗は災禍の象徴であると同時に富の象徴であるとされることもある。

しかし、紫彗片にはあるいわくもあった。

 

「このまま村にこれを置いておいたら、私たち、紫毒(しどく)で狂ってしまわないかしら……」

 

紫彗片には、紫毒と呼ばれる不可視の毒素を有しているものもあり、それに触れ続けた者は精神を冒され気が狂ってしまうのだ。もし、この紫彗片が紫毒を持つならば、一夜で村が魔境と化してしまう可能性があった。村人たちもそれを聞いて口々に不安を漏らし始め、村がざわめきだした。

 

「ど、どうすんだ?」

 

霜月がレイや村人たちを見回しながら、困った様子で言う。すると村人の男の一人が前に出た。

 

「とりあえず、村から紫彗片を遠ざけるのはどうだ?裏の山にでも運んでよ」

 

男の提案に、霜月も村人たちもそうしよう、という声を上げた。霜月と、村の男衆4人で、大人の身長ほどもある紫彗片を恐る恐る地面から引っこ抜き、大八車に乗せて裏山へと向かった。もたもたしていたら紫毒にやられるかもしれないと、霜月たちの足は速くなっていった。

交代で大八車を引きながら、霜月が男たちに言った。

 

「朝になったら、『凶片狩(きょうへんがり)』が来て、こいつを人目のつかないとこに運んでってくれるんだよな?」

「ああ。凶片狩のお方たちもこいつが落ちてきたのを見ているだろう。きっと夜明けとともにやってきてくれるさ」

 

『凶片狩』。紫彗片の取り合いによるいざこざや戦、そして紫毒による被害を広げぬよう、大国主ーーアシハラ国の王の勅命により結成された組織のことである。紫彗片の所持や取引には彼らを通さねばならず、もし密かに所持・取引をした場合には彼らによって罰せられることとなる。また、今回のように紫彗片が落ちてきたというときはその場に駆け付けて回収し、人目のつかない場所まで運送するという役割も担っていた。

男の言葉を聞いて少し安心した霜月だったが、男たちの顔色はまだ不安げに曇っていた。

 

(凶片狩よりも先に、『先客』が来なきゃいいけどなあ……)

 

ようやく村から遠ざかってきたところで大八車から紫彗片を下ろし、足早にその場を去った。

男たちの不安も露知らず、霜月はやっと紫彗片から開放されたと安堵していた。しかし、彼らが村に戻って数刻の後、男たちの不安は的中することになるのだった。


 

 



村人たちが各自の家に戻り床に就いたしばらく後、村内をバタバタと粗雑に駆ける音と、村のものではない荷台の車輪のゴトゴトという音が再び村人たちの目を覚まさせた。

 

「なっなんだあ!?」

「誰かしら……。凶片狩の方たちが来るにはまだ早いけれど」

 

霜月とレイもその音で飛び起きた。霜月が外の様子を見に行くと飛び出そうとしたが、戸に手をかけようというところでレイが止めた。

 

「どうしたんだよ?」

「シィー!……今、音がうちの前で止まったわ。紫彗片が落ちたあたりよ」

 

霜月はそれを聞いて慌てて手で口を押さえた。戸板の隙間から外の様子をそっとうかがうと、まさに数刻前に紫彗片が落ちて窪んだ地面の周囲を5人の男たちが囲んでいた。中に一人少年も混ざっていた。

 

「みんな知らねえ奴だ……。なんだ、あいつら?」

「盗賊、だわ……。きっと、凶片狩が来る前にここに落ちた紫彗片をかっさらいに来たんでしょう」

「エッ!?と、盗賊ってヤバいじゃん!どうすんだ!?」

「きっと、ここに無いって分かったら私たちが隠したって勘付くはずだわ。そうしたら……」

 

そこまで言って、レイは表情を暗くした。霜月にも、その言葉の先は分かっていた。

あの盗賊たちは村人たちを叩き起こし、紫彗片をどこに隠したかを問い詰めるだろう。教えてしまえば、村人たちは盗賊に紫彗片を引き渡したとして裁かれるだろう。しかし教えなければ、盗賊たちに何をされるか分からない……。

盗賊たちはしばらく何やら相談をしていたが、頭と思しき大男が目をぎょろぎょろさせながら周りを見渡し始めた。そして、その視線は霜月とレイの家へと向けられる。

 

「うわっこっち見た!」

「ち、近付いてくるわ……」

 

頭は目をひん剥き、唸りながらこちらへと歩いて来ていた。手近な家から紫彗片の場所を聞き出そうとしているのだろう。しかし、答えなければ怪我では済まないという気配が頭の全身から溢れ出していた。

と、霜月が戸から離れ、土間に立てかけてあった鉈を取り、再び戸に手をかけた。

 

「ちょっと、霜月、何を……」

「追い払う!この村で戦えるの俺だけだから、俺があいつらにぎゃふんと言わせてやる!」

「だ、ダメよ!いくらなんでも5人を一人でなんて無理よ」

「レイおばさんは家ん中にいるんだぞー!」

 

レイの制止を聞かず、霜月は鉈を片手に飛び出していった。




コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    賢♂ (火曜日, 04 8月 2015 11:31)

    背景描写が細かく解り易い^_^