「なあー……ほんとに合ってるのかー?」
地図の通りの道を行くが、示されていたのは樹々や雑草がひしめき合う道なき道だった。
「簡単に分かるような場所では意味があるまい」
「む……そりゃそうか……」
しかし、アラクは薄々とひとつの予感をしていた。
翳も同じことを予感しているが、先に気付いているであろうアラクが何も言わないのならば何らかの狙いがあると踏んで口を出さなかった。
その予感とは……
(地図は偽物……)
示されている場所は加工屋ではなく、全く別の場所かもしれない。
街道を離れ、道なき道を辿り奥へ奥へと進む毎に予感は強くなっていった。
ここはとても荷車が通れる場所ではなく、荷車を街道に置いて紫彗片のみを運ぶにしてもあまりにも街道から離れすぎている。
荷車を長く放置する訳にもいかないし、ここまで運ぶ労力も尋常ではない筈だ。
「このままじゃ日が暮れちまうぞー?」
「それでも行くしかないさ。それに地図上ではもうすぐだ」
3人は地図に沿って更に進んでいく。
程なくして地図上の目的地に到達した。
しかし、加工屋どころか人の気配すら無く、目の前には少し開けた土の地面があるだけだった。
「な、なんだよー!!やっぱり合ってないじゃん!!」
憤る霜月を他所に、翳は念のため周囲を警戒する。
しかし、どれだけ研ぎ澄ましても何の気配も感じなかった。
「何も、ありませんね」
「……いや」
アラクは目の前に広がる土の地面を注視していた。
土の中に眠るある気配を、アラクだけは感じ取っていた。
「なんだよ、そこに何かあんのか?」
そう言って、霜月が何気無く土の地面へと一歩踏み出した。
「!待て!」
アラクの制止は遅れ、二歩三歩と駆け出したあたりでようやく霜月が振り返る。
同時に、霜月の背後の地面から紫色をした蜃気楼のようなモノが立ち上がり始めた。
翳の目にも映っていた。
「……あれは……」
「紫毒だ!霜月!引き返せ!」
「ほえ?」
霜月の返事と同時に、蜃気楼が霜月を囲むように噴き出し、あっという間に霜月を包み込んでしまった。
霜月はようやく危機に気付き、慌てて2人のもとへ引き返そうとするが、ぴたりと足を止め、直後ガクリとその場へ崩れ落ちた。
「霜月……!」
紫毒は本来不可視。それがハッキリと目視出来るということは、異常に濃度が高い証拠だ。
この土の下には、恐らく紫毒を含んだ紫彗片が大量に埋められているのだろう。
時間をかけて人の精神を蝕む筈の紫毒も、ここまで濃度が高ければ一日とかからない。
助けに入れば確実に道連れになり、誰も助からないことは目に見えていた。
「どうしてこんな場所に……」
「?どうした」
「……いいえ。それより」
翳は紫毒に包まれる霜月に目をやる。
「どうするんですか」
「……飲まれる前に抜け出せば……」
アラクは意を決し、霜月を包む紫毒へと飛び込んだ。
素早く霜月を持ち上げて小脇に抱え、すぐに引き返そうと振り返る。
(……!)
しかし、紫毒の回りの早さは予想を遥かに上回っていた。
アラクはどうにか振り切ろうと歩を進めるが、鉛玉を引き摺るような足取りでなかなか前へ進めない。
「……」
翳はアラクと霜月が脱出することを願い見守ることしか出来なかった。
(飛び込めば、僕は「今度こそ」飲まれる……)
かつて、似たような場所で飲まれかけたことがあった。
再び踏み入れればどうなるか……
「……あーあー、何やってるのさ」
と、背後から声が聞こえた。
振り返ると、そこには燃えるような紅の長髪をした大刀2本差しの男と、彼に連れられた役人らしき者達が数名立っていた。
「貴方達は」
「説明は後だよ、後。先にあの2人を助けなきゃ」
「どうやって……」
「ま、見てなよ」
そう言うと紅の男は紫毒の領域の外側を半周し、丁度霜月とアラクの背が見える位置に立った。
「剣士君、退いておいた方がいいよー!」
そう言われて、翳はその場を少し離れた。
翳が退いたことを確認すると、紅の男が手から小さな火球を出現させ、土の地面の真ん中目掛けて打ち出した。
着弾した瞬間、そこから凄まじい爆風が発生し、霜月とアラクを紫毒の領域外へと吹っ飛ばした。
「な……火万気使い……」
彼が火万気使いだということと、あまりにも強引すぎる救出に唖然としつつも、翳は吹っ飛ばされた2人に駆け寄る。
「大丈夫ですか」
「……私は。だが……」
アラクは爆風の衝撃で意識を引き戻されたのか正気に戻っていた。
しかし、霜月は目を覚まさぬままだった。
「大丈夫大丈夫。いくら濃いったって短時間じゃ完全に飲まれやしないよ」
「……朱燕(しゅえん)……。毎度のことながら無茶苦茶だな」
紅の男……朱燕は愉快そうに笑った。
「そりゃあどうも。さて……こんな物騒な紫彗片、俺だって触りたくないなあ。とりあえず立ち入り禁止にしときゃいっかー」
「今はそれが無難だな」
アラクとのやり取りで、翳はこの朱燕という男も凶片狩の一員だろうと確信した。
同時に、一抹の「疑念」も生まれた。
「あ、俺はトキヨ国のこの辺担当してる朱燕っていうんだ。ヨロシク~」
翳に向けてひらひらと手を振る。
「疑念」に思慮を巡らせていたため、少し遅れて朱燕の顔を見た。
「祐山 翳です」
翳には彼の気の抜けた振る舞いがどうにも気に食わなかったが、一応名乗り返した。
「翳くんね!ヨロシクぅ!そうだ、仲間の一人に十番国にある拠点まで案内させるから、君と居眠り君はひとまずそこで休んでおきなよ。俺とアラク、あと残りの仲間と作業するから」
「……僕が霜月さんを背負うんですか」
「あ、彼霜月くんっていうんだね。安心しなよ、休んでろって言った相手に労働紛いなことはさせないよ。案内させる仲間にやらせるから」
翳は朱燕の言葉に応じて、霜月と共に役人の一人に連れられ凶片狩の拠点へと向かった。
「いやあ、ほんっと物騒だなあ。こんな場所がまだいくつもあるなんて考えたくないね」
「私もだよ」
霜月と翳が去った後、紫毒の領域の縁を柵で囲む作業をしながら、アラクと朱燕は話していた。
「それだけ『奴』も本気だということだ」
「だねえ……急がないと、ねえ」
2人は改めて紫毒の領域を深妙な面持ちで見つめた。
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