1-1 予感



『紫彗(しすい)』。
 
 
その名の通り、紫の不吉な閃光を放ちながら夜空を走る彗星。
 
これが現れたその近いうちに、大規模な戦や天変地異が起こると言い伝えられている。
 
しかし同時に、これが落としていく『紫彗片(しすいへん)』という欠片を手にした者は巨万の富が得られるとされ、このことから富の象徴とも言われている。
 
 
 
 
「……最近、よく出るよなぁ」

 
 
雲ひとつ無いとある夜、紫彗は現れた。
 
街道に面した小村の片隅で、それを不安気に見上げる青年。
 
それにつられて数人の村人が挙って集まり、共に見上げた。

 
 
「ちょいと前までは年に一度見るか見ないかだったというのに、近頃は週に一度は現れるな」
 
「一体どうなってやがんでぃ……」
 
「何か起こんなきゃいいけどねぇ」



村人達が口々に憂鬱な心境を吐き出す。

青年も同じく嫌な胸騒ぎに駆られていたが、それを圧してひとつの疑問が浮かび上がってきた。



「紫彗って、そんなに珍しかったのか?」
 
「ああ。そういやあお前さん、この村に来る前のこと全部忘れちまってるんだっけか」



村人の一人が青年の疑問に答えるとともに、思い出したかのように青年の境遇を言葉にした。
 
 
この青年は数ヶ月前に村の近くで行き倒れていた所を拾われた。
しかし目覚めてみると、どういう訳だか行き倒れる直前までのあらゆる記憶が抜け落ちてしまっていたのだ。
 
 
紫彗が現れる夜は国中の人間が眠ることも忘れて夜空を見上げるくらいだ。青年もこれまでの紫彗の出現を見ていない筈はない。
 
だがその紫彗がいかに稀なる存在であるかという記憶も、青年からは消え去っていたのだった。
 
 
青年は、そーだよ、と軽く呟き、



「でもさー、よく出るくせに災いなんてちっとも起こらないじゃねーか」



とまた新たな疑問を口にした。



「それが逆に気味が悪いんだよ」
 
「嵐の前の静けさってやつかねぇ……」



疑問の一言を火蓋に、再び村人達の間でざわめきが起こる。
 
それを聞きながら、青年は再び紫彗を見上げた。


……その時。



ーーォオオオォォオンッーー!!



……紫彗が、けたたましい唸りを上げた。
 
遥か上空からの音にも関わらず、それは地を震わせる程の轟音だった。



「な、何なんだよ今の!?」
 
「分からねぇ、こんなの俺らも初めてだ……!」



村は一気に騒然となる。
恐らく国中が同じ状況に陥っているだろう。
 
しかし、今宵の紫彗は彼等に焦る暇をも与えなかった。



ーー先刻の唸りと地鳴りの直後、青年と村人達の目の前に、紫の光を淡く放つ物体が落ちてきた。
 
大の大人の背丈程もあろうそれは地響きと共に地面に突き刺さり、土煙を噴き上げる。
 
その凄まじい風圧に、村人達は後ろへ転げてしまう。
 
そして、土煙が晴れて露わになった光る物体。
それを見て村人達は目を見張った。



「ーー紫彗片ーー!!」



ただ一人風圧の中で倒れなかった青年は、その言葉に思わず村人達の方を振り向く。



「こ、こんなでっかいもんなのか!?」
 
「知らねぇ……なんてったって初めて見たからな」



青年は再び、目の前の紫彗片に向き直る。


不吉な揺らめきを見せる光。
青年は何故か、そこから目が離せなかった。



「……へんなの」



何か嫌なことが思い出されそうな気がして、それきり紫彗片から目を逸らし、転んだ村人達の手助けを始めた。



辺鄙な山地の小さな村。
そこに落ちた凶星の一欠片が、これより先に起こる全ての災禍の始まりだなどと、誰が思っただろうか。